八幡神社にある北原白秋の歌碑
株式会社セイズインターナショナル
田村 浩二
『いつしかに 夏のあわれとなりにけり 乾草小屋の 桃色の月』
明治から昭和にかけて高雅な詩や歌で有名な北原白秋(1885~1942)は、大正五年(1916~三十二歳の時)七月から約一年間、妻章子とともに、この小岩村字三谷の乾草商富田家の離れに居を構えました。
ここを「紫烟草舎(しえんそうしゃ)」(現在、市川里見公園内に復元)と名付け、葛飾の風土や人情に見守られながら、短歌雑誌「煙草の花」を創刊したり、数多い短歌や詩、小品集などの素材を得ました。
昭和三十六年(1961)、地元小岩町(現在の北小岩)の人びとは、白秋がこの江戸川べりの農村に住み、風物を愛したことをしのび、八幡神社の境内に彼の歌碑を建てました。